時代の必然
おそらく原始時代の人々は現代人ほどマスターベーションに励まなかったはずだ。
まだ人口が少なく社会というものを形成しておらず、様々なルールやシステムが未分化な状況では、セックスはごく日常的な行為だったのではないだろうか。
きっと複数人とセフレのような関係を持っていてもでも咎められることはなかっただろう。
動物だった猿から、優秀な頭脳を持つ人間へと進化してから、おおよそ500万年もの間人類は森林の中で生活を続けた。
そうした森の中での狩猟生活は、狼やライオンといった動物がサバイバル生活をするのと大して変わらず、即ち、性においてもふさわしいメスを見たらすぐにペニスを入れようとする動物のように、我々の祖先もいい女がいたらすぐにセックスに持ち込もうとしていたに違いない。
女性の方も、現代のように「すぐにやってしまう女ははしたない」だとか「本当ならやりたいけど周囲の目が気になる」というような社会通念と照らし合わせて行為を自制するというようなこともあまりなく、すぐにセックスに応じていたのではないだろうか。
つまり、この時代はやりたかったらすぐするというシンプルさゆえ、現在のようにやりたいけどやれない、だから自分で処理をするしかないという事態はめったに起こらなかったに違いない。
また、現在ほどエロスが日常に溢れている時代はかつてなかっただろう。
TVを付けても水着を着た女が踊りながら商品を宣伝しているし、また、雑誌や広告に多く登場するモデルと呼ばれる職業も言い方を変えれば「いいカラダ」を販売している人たちである。
ネットを繋ぐといつでもライブチャットを見ることができる。
そのようにエロスが溢れた社会でありながら、それらに煽られた性欲をすぐに解消することができない。
18禁動画の登場は、いわば時代の必然と言えるかもしれない。
